このブログは「小金井発!芸術文化を書くこと/伝えること講座」運営の一環として、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室小金井プロジェクトチームによって運営されています。
ここではプロジェクトメンバーが見つけた「芸術文化を書くこと/伝えること」の情報を収集&発信していきます!
フリーペーパーやウェブサイト、文献の紹介。公募の執筆情報やレクチャーなど「書く場所」情報。もちろん講座の様子も…
プロジェクト内だけで留めておくにはもったいない!そんなもったいない精神に支えられ、ほぼ毎日更新中です!!
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『読む力・聴く力』

11月14日の成果発表会から、だいぶ時間が経ってしまいましたが、講座ページに当日レポートをアップしました。10人の受講生がそれぞれの想いを語った成果発表会。緊張しながらも想いを伝える発表者。どれも魅力溢れる発表でした。そして、その聴衆となってみて、対話や議論のためには、話すほうだけでなく、聴くほうの大事さも改めて感じました。

そこで思い出した一冊の本。『読む力・聴く力』(河合隼雄、立花隆、谷川俊太郎)です。

読む力・聴く力読む力・聴く力
(2006/11)
河合 隼雄谷川 俊太郎

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本書は著者3人の「はじめに」と立花と河合の講演、谷川の詩のアンソロジー、3人のシンポジウムの記録で構成されています。ぼーっとそこで自然に起こることに身を任せるという河合隼雄の聴く態度。とにかく読む、そこから世界を探求していく立花隆の読む姿勢。言葉を考え、言葉とたわむれる谷川俊太郎。とかく忙しい世の中で見失われている、読むことや聴くこととじっくり向き合おう、それが生きることでもあるから、という河合の問題提起に呼応して、行間のゆったりとしたレイアウトも、本書をじっくり読むことを誘っています。でも、読み始めたら、あっという間に読み終わってしまう。本を読むことの魅力も再確認することができる一冊です。

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(SR)
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団塊世代の地域デビュー心得帳

昭和22年から24年生まれの、いわゆる「団塊の世代」が、2007年から退職期を迎え、毎年約200万人強が地域に帰ってくる・・・とは、2007年になる前々から言われてきたことです。

実際は、特に都心部では、引き続き職に就くことを希望する人が多く、退職後すぐに地域で何かを、という人はそう多くないようですが、バリバリの現役時代に比べれば、自分の暮らす地域に接する機会が徐々に増えていくことは間違いないでしょう。

今回紹介する『団塊世代の地域デビュー心得帳』は、セカンドライフを地域という舞台(ステージ)で輝いて☆という、団塊世代に向けた応援歌的な一冊です。

とかく元会社マンのお父さんたちは、地域活動への参加に二の足を踏みがちです。この本では、まず地域に目を向けること、そして会社の肩書きにとらわれないで等身大の地域活動から・・・といったことから始まって、地域でのマナーやホスピタリティの大切さなどをコラム形式で読みやすくつづっています。また、著者はコミュニティビジネスの提唱者であることから、地域で具体的にビジネスをするノウハウについても解説。すでに「地域デビュー」を果たした先輩たちの事例など、盛りだくさんです。

地域で活動する最初の動機は、おそらく趣味から・・・というのが多く、そのなかで芸術文化というジャンルは主要な位置を占めるようにと思います。また、いま行っているような市民講座も、地域デビューきっかけの場としては最適ですよね(講座にも、すでにリタイアされてご活躍の受講生の方もいらっしゃいますしね!)。

というわけで、団塊の世代の方のみならず、たくさんの人の地域デビューに向けて、編集者もイチオシの一冊なのでした(笑)(YA)

団塊世代の地域デビュー心得帳 ~心豊かなセカンドステージへ~団塊世代の地域デビュー心得帳 ~心豊かなセカンドステージへ~
(2007/11/13)
細内 信孝大川 新人

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『百歳回想法』 文・黒川由紀子 写真・小野庄一

ご存知の様に、回想法は1960年代にアメリカの老年精神化医バトラーが創始した、高齢者に対する心理療法だ。「高齢者の回想に、良き聴き手が共感的な姿勢で、心をこめて聴きいること」で高齢者が「生きてきた意味を再考し、自尊心を高める」という心理学的な意味がある。自身の人生を振り返るという点では自分史と同じだが、自分史が一人静かに書くのとは対照的に、回想法では挫折や悲しい出来事の語りでさえ、聴き手がいることで、孤独にならない。

そんな回想法の本の中でも、本書はとても読みやすい。何しろ98歳から104歳までの5人のお年寄りが一同に会して回想した記録であり、高齢者のポートレイトを撮り続けてきたプロの写真家が撮った5人の方々の写真がたくさん入っているのである。その皆さんのお顔の素晴らしいこと!100歳という年輪を重ねてきた、穏やかさと秘められた悲しみと、慈愛にあふれた、澄んだ瞳。今なお、好奇心と無邪気さを兼ね備えたようなその表情。ずっと眺めていても飽きない。そして語る言葉も、それぞれに含蓄があり、深い。


本書の中で繰り返し指摘されているのだが、回想法では「他人の過去に土足で踏み込まない」ことを大切にし、回想されない選択肢を常に準備している。自ずと語られることは大事に受け取っても、語られないことを無理に聞き出すことは行なわない。時が熟すプロセスを静かにゆっくりと味わう。そんな時、たった一語の言葉が、物語以上の重みを持つという。


また、多くの人が自分の体験を伝えたい、語りたいと思っているのは事実である。それなのに、聴いてもらえない、軽視または無視され続けると、人はあきらめ、やがて沈黙する。その時の沈黙とは上の沈黙とは別のもので、両者は入念に区別され、語りたくなったらいつでも聴ける体制を作っておく。やがて堰を切った様に語り始める高齢者もいるという。


日本での回想法の第一人者でもある著者は、回想法はまた、私たち後輩にも、実り多いひと時を与えてくれると言う。だから、「私たちのまわりの年長者がふと口にする言葉を、ふと語る物語を、もっと大切に、もっとわくわくしながら、耳を済ませて」聴けば、「私たちが未来に夢と希望と発見と遊び心をもって、たった1回限りのワンダーランドを生きる可能性が広がる」と説く。


本書には、5人の回想の記録、解説の他に、家庭で簡単にできる回想法のやり方も載っている。折りしも、もうすぐ「敬老の日」。5人の素敵な笑顔の写真を見ていると、私もどなたか、年輪を重ねてきた年長者の語りを、じっくりと聴きたくなってくる。緊張やあきらめという魔法が解けたら、きっと人生の機微や叡智が煙の様に立ち昇ってくるのだろう。


少し大きな本で、小金井市の図書館には置いていないようですが、ぜひ手にとり、ページを開いてみてください。500年分の年輪を讃えた笑顔に、あなたも絶対やられます!(IS)


『百歳回想法』 文・黒川由紀子 写真・小野庄一 ソトコトClassics 2003年9月 木楽舎

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Art Space Tokyo

サイズ、デザイン、手触り。Art Space Tokyoは本という「もの」のもつ魅力に改めて気づかされます。直接ウェブで購入する前に、まず店頭で本書を手に取って、ぱらぱらとページをめくって、確認することをおすすめします。最近では、東京都現代美術館国立新美術館で見かけましたが、洋書なので、一般書店よりはミュージアムショップや洋書に強い書店(紀伊国屋、ABC、丸善)のほうが出会いやすいと思います。

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と、本の外側のことを先に書いてしまいたくなるArt Space Tokyo。内容も充実です。都内12カ所のアートスペースのマップとルート、そして多くのインタヴューが収録されています。本書、序文には以下のような言葉があります。

We believe that art is not just an end goal, but a process involving all manner of people.(私たちはアートを最終的なゴールではなく、あらゆる人々が関わるプロセスだと思っています。)

この言葉が示すように、本書には12のアートスペースに限らず、ウェブサイト、コレクターやキュレーターといった様々な立場の人々のインタヴューが収録されています。登場する人々は刺激的な人ばかり。「90年代以降の東京の現代美術」や「批評やジャーナリズムの現状」などの文章もあわせて収録してあり、通読すると現在の東京の現代美術(Contemporary Arts)を取り巻く状況も理解することができます。というか、それを知りたければ必読の1冊とまで言えるかもしれません。

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文字のレイアウトやマップなど内容面でもデザインが洗練されていますが、アートスペースや登場する人々のイラストにもぐっときます。しっかりした文字情報に、それを伝えるデザイン。本というメディアを通じて表現することの意義を改めて考えさせられます。英語で、しかもインタヴューを含む。その手間を考えると(日本語でアートガイドのような本が増えている状況の中で)もっと日本語でできることがあるのではないかとも考えさせられます。なにより、こういう本をつくったら楽しいだろうなぁ。(SR)

Art Space Tokyo: An Intimate Guide to the Tokyo Art WorldArt Space Tokyo: An Intimate Guide to the Tokyo Art World
(2008/09)
Craig Mod、

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梅棹忠夫『情報の文明学』

今、小林多喜二『蟹工船』が売れています。

最近、こういう言葉をよく目にします。新聞記事になったり、「話題の本」として平積みにされていたり、ポップがついていたり。『蟹工船』の初出は1929年。80年後のリバイバルです。(その辺の経緯はウィキペディアを)。古典はいつ読んでも新しい、と言いますが、このような本には、どの時代の読者の読み方も受け入れる懐の深さのようなものがあるからかもしれません。

情報の文明学

そういう意味では(古典と言うには早いかもしれませんが)梅棹忠夫『情報の文明学』も現在の社会を見通す新鮮な視点を与えてくれる本です。本書は1988年に中央公論社から刊行されましたが、梅棹が20年以上にわたって書いてきた文章が収録されおり、冒頭の「放送人の誕生と成長」は1961年が初出。『情報の文明学』がテレビ業界人=放送人から始まるのは、情報=インターネットになりつつある現在の視点からは、面白いところではないでしょうか。

まったく、放送というのはけったいな仕事である。民放はやはり商売にはちがいないが、いったいなにをつくって、なにを売っているのか。電波をつくって、電波を売っているのであろうが、番組といい、電波といっても、これはまったくふつうの意味でものではない。それは売買の対象は、まったく新型の「なにものか」である、22頁

テレビ放送開始は1953年。1961年ではまだまだ「新型」の産業で「けったいな仕事」。いっぽう、工業製品のような「ふつうの意味でもの」を扱う社会から、そういう視点から見れば「奇怪なる擬似商品」ともいえる情報を扱う社会へ、実感を伴うかたちで進行していった時期だったといえるかもしれません。本書では、そのような社会の変化を、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代といった文明史的に位置づけていきます。

またきっかけは放送ですが、情報を「人間と人間のあいだで伝達されるいっさいの記号の系列」と捉える梅棹の論には、宗教から、スポーツ、映画や芝居…人間のさまざまな(ほとんどの?)活動が視野に入ってきます。

このような文明史的に捉える視点の大きさと、具体的に論じる情報産業の定義の幅の広さ。時代を隔てた現在の読者にとっても、実感をもって、多様な読み方ができる本書の懐の広さのゆえんではないでしょうか。

梅棹は本書中で「情報の時代」から一歩進め、以下のように語っています。

情報に関するガイダンスが情報的世界における、ひとつのジャンルを形成しつつある。情報氾濫の時代になれば、なるほど情報の情報が要求されるのである…(中略)…世はまさに、情報の情報の時代である、267‐268頁。

梅棹が「情報の情報の時代」を指摘してから20年が経ちました。テレビだけでなくインターネットも普及しつつあり、情報の氾濫が加速化しているようにも思えます。そんな中でリアルトーキョーのような「情報の情報」サイトもできてきています。立ち上げの動機をリアルトーキョーでは以下のように説明しています。

映画、演劇、ダンス、コンサート、パーティ、展覧会、レクチャー……。東京のような大都市では、毎日数え切れないほどのカルチャーイベントが開催されています。その中から、本当に観に行くに値するものを見つけ出すのは至難の業。「情報過多」と言われて久しいメディア状況が、それに輪をかけているようにも感じられます。

ところが、実際に新聞や雑誌やテレビをチェックしてみると、流れている情報はどこも似たり寄ったり。意外とバリエーションが少ないことがわかります。限りある誌面や放送時間で大多数に受けそうなものを選んでゆくと、自ずと同じようなセレクションになってしまうのでしょう。これにチケットサービスがからむと、ビジネスに直接結びつかないものはどんどん淘汰されるばかりです。

「それってリアルじゃないじゃん」というところから、REALTOKYOはスタートしました。大作映画や大物ミュージシャンのライブもいいけど、単館上映の映画やカルトな小劇場、新人のライブや若手アーティストのグループ展にも行ってみたい。そんな「マス対コア」の揺らぎの中にこそ、リアルなトーキョーがあるんじゃないのか。そういう街に私たちは住んでるんじゃないか、とREALTOKYOは思うのです。
REAL TOKYO| RTって何だ?から抜粋l


梅棹は情報の氾濫の中で「情報の情報」の必要性を指摘しました。現在。情報の氾濫はより大きくなっている中で、本来それへの対処としてあるはずの「情報の情報」の限界をも、リアルトーキョーの動機は示しており(同じようなセレクション、コアの淘汰)、そのゆえ、情報のリアルさを取り戻すというリアルトーキョーの活動は梅棹のいう「情報の情報」のひとつの実践として意義をもっているように思えます。

古典の新しさは、時代を超えて共振するものを与えてくれることと同時に、時代の違いを知ることから、現在を考える視点をも与えてくれます。本書を通じて、今を考えて見るのもいいのではないでしょうか。(SR)

情報の文明学 (中公文庫)情報の文明学 (中公文庫)
(1999/04)
梅棹 忠夫

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地域雑誌を考える ~「小江戸ものがたり」の場合~

 先日、地域雑誌「谷根千」をご紹介しましたが(6月2日付記事参照)、今回ご紹介する「小江戸ものがたり」は、その「谷根千」に憧れ、参考にされたという編集長が、2001年から発刊している川越の地域誌です。

 編集長の藤井美登利さんは、もとは川越の出身ではなかったのですが、仕事を通じてかねてより歴史や古い建物に関心が高かったことから、観光で訪れた当地に魅了され、以後この地へ移住。外国人観光客の案内ボランティアや子育をしながら、川越のコミュニティになじみ、この地域のことを学んでいかれました。そして、2001年に「小江戸ものがたり」を創刊。暮らしの中の町の記憶をのこすこと、地域の良さを再発見することを軸に、編集をされています(2008年6月現在、11号(2007年秋冬号)まで発刊)。
 雑誌の発刊のみならず、編集元の川越むかし工房では、川越のまち案内イベントなどを実施。着物を着て、川越はじめ埼玉県内を散歩する企画もあります。藤井さんのお話しでは、着物の似合う町並みに、東京の忘れ物をみつけ、日本を再発見をさせてくれる町として、川越を「好き」になられたそうです。着物を着ることも、洋装一辺倒になった私たちの暮らしを見直してもらいたいという思いから、毎月1回「川越きもの散歩」を開催されています。今年3月には、県内の織物を紹介した小冊子「埼玉きもの散歩 2008*spring」も発刊されました(写真・「小江戸ものがたり」は04年のもの)。

 地域の魅力を発見し、伝えていくモチベーション。それは、そこに住む期間の長さだけでなく、どれだけその地域を「好き」になるか、その気持ちによるところが大きいように、以前、市内スカラ座(川越の名所の一つです!)で藤井さんのお話しを聞いていて思いました。これから地域の芸術文化を発信していくみなさんも、たくさん「まち」を好きになって、書くこと伝えていくことにつなげていくと同時に、まちを元気にしていくきっかけにもなるといいですよね!(YA)

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※本記事作成にあたり、藤井美登利さんにはメールでの取材に快く応じていただきました。ありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

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地域雑誌を考える ~「谷根千」の場合~

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(写真1)朝倉彫塑館      (写真2)「谷根千」最新号とマップ

新学期の開始を控えた今年の春先、谷中散策をしました。朝倉彫塑館(写真1)や、銭湯を改装したギャラリー(SCAI THE BATH HOUSE)、スペース小倉屋など、古いまちなみとともに、あちこちにアートがギュッと凝縮されたステキなまちです。

以前からずっと気になっていながら、かの地に足を運ぶのは実は初めて。迷子にならないように・・・と日暮里駅で購入した地域雑誌『谷中・根津・千駄木(通称:谷根千)』(写真2)(※1)も、前々から知ってはいたものの、ちゃんと手にとったのは初めてでした。色紙の表紙がどことなく優しくて、A5判64ページには、版面いっぱいに盛り沢山の地域情報が掲載されています。

今回紹介する図書、『「谷根千」の冒険』(※2)は、地域雑誌「谷根千」の1984年創刊以降、7年間の記録をまとめた一冊で、創刊にまつわるエピソード、雑誌への思い、地域での活動の様子などが語られています。地域で雑誌をつくるということ、まちの魅力を引き出し伝えていくこと、そして続けること・・・など、読み手のアプローチによって、これから始まる小金井の講座のヒントになりそうなことがいくつも含まれているように思います。
中でも、「(近代の巨大化したメディア、画一的な週刊誌などを例に挙げて)私たちは情報の洪水の中でアップアップしながら・・・」、「本当に必要な情報とは何か」、「いま世になくて求められている本は何か」を考えたとき、「その一つが案外、地域の情報かもしれない」というくだり(54ページ)が印象的でした。そこに暮らす住民ならではの視点で、地域をあまねく取材し、自らの目で耳で得た情報を大事にしてきた、この雑誌の原点が見えてきます。(※3)(YA)

(※1)やねせんネットHP

(※2)アマゾン紹介ページ 

(※3)本誌は、残念ながら2009年春での廃刊が発表されています(2007年)。残りは5号。ぜひ本屋さんなどでチェックを!

「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)
(2002/05)
森 まゆみ

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『べてるの家の「非」援助論』 浦河べてるの家 医学書院 2002年6月 東京

申し訳ないけれど、いわゆる典型的な「過疎の町」といえる北海道浦河。そこに精神障がい者の回復者クラブができた当初、住民は心配した。案の定、暴力・破壊行為、無銭飲食などで、連日の様にパトカーや救急車、消防車が駆けつける始末。しかし、それから25年。いつの間にかそのクラブは、社会福祉法人と有限会社から構成される、とても大きな共同体となり、精神障がいを抱えた人150人が住み、多種多様な活動を展開するようになった。そして今や年商1億円、年間見学者は2,000人を数え、過疎の町を支える一大地場産業となっている。それが、浦河べてるの家


『べてるの家の「非」援助論』では、その成功の秘密が余すところ無く書かれている。「悩みや苦労を取り戻そう」「安心してサボれる会社作り」など、そこにはユニークな理念やキャッチフレーズが満載されているのだが、その中でもキーワードとなるのが、言葉による表現だ。


「精神障がい害」とは、自己が他者の言葉で定義されてしまい、言葉を、自ら語る事を封じられた人々であると思い至ったソーシャルワーカーや精神科医、そして当事者たち。そこで長年試行錯誤を繰り返し、今では徹底的に当事者たちが、語り、書くようになっている。例えば「三度の飯よりミーティング」。「話し合う」ということは、お互いに支えあい、表現することの危機を乗り越える、大切な場であると考えられ、べてるの家では1ヶ月に100回ものミーティングが開かれている。


また、世間一般では忌むべき症状とされている幻覚妄想。普通なら一刻も早く薬の力で封じ込めなければと考えるところ、べてるでは、親しみを込めて「幻聴さん」と呼び、本人の友人であるかのように扱う。当事者はどんな幻聴さんがいるかを詳細に語り、様々なエピソードを披露する。そればかりか、奇想天外でユニークなものは年に一度の「幻覚&妄想大会」に出品され、表彰される。グランプリ受賞者は北海道新聞で記事にもなり、名誉も賞品も手にすることができる。


そして、「当事者研究」。例えば、感情のコントロールを失って暴力・破壊行為に及ぶ当事者が、自分のその状態を「爆発」と名付けて研究する。その内容は、研究の背景から目的、方法と続き、徐々に爆発のメカニズムが明らかにされ、結論として「爆発の有効活用」までを導き出す、本格的な研究論文である。もちろんそれを発表する機会も用意され、外部講演会などで発表することも多い。その様に、爆発してしまうという「辛さ」を外在化し、自己を再定義する試みは、言語を用いて理論だてた研究にすることで、普遍化される。社会に役立つ研究となるのである。

こうして、「語ることから回復が始まる」という伝統により、数冊の本や20本ものビデオを出版したべてるの家では、最初に始めた日高昆布の販売も併せて、全国各地で講演会を行なっている。入院しながら講演する当事者もいる。その数、年間100回以上。3日に1度は日本のどこかで、メンバー達の語りを聞くことができる。そんな講演に出かけて彼らの声に耳を傾け、私はこの本を読んだ。

小金井市立図書館には無いようだが、彼らの「語る事を取り戻す」歩みと、その苦労の道程で毎日生み出される言葉という宝を、良かったらあなたもぜひ。(IS)

べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ・ケアをひらく)べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ・ケアをひらく)
(2002/05)
浦河べてるの家

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『 フリーペーパーコレクション』

実は以前から欲しいなと思っていた本があって、なかなか買う機会をつかめないでいました。
でも小金井の講座のお手伝いを始めて、このブログに投稿をするようになったわたくし、とうとう
「あ、これブログのネタに使えるね!」
みたいなかなり軽いノリで買ってしまいました。

『フリーペーパーコレクション』です。
オールカラーで、いろいろなフリーペーパーの紹介をしている書籍です。
150ページくらいだからこの本自体も雑誌感覚。


この本にはでかい帯がついていて、
blog_080531_pict1at.jpgblog_080531_pict2at.jpg
ちょっと写真が暗くて申し訳ないですが、帯にある通り、オールカラーで画像をたくさん入れることで、ひとつひとつのフリーペーパーを、デザインとかレイアウトがすぐれているという特徴から紹介している感じ。
もちろん、内容的に面白い、というのも多いです。
アマゾンに書かれている紹介文にもありますが、
実際、情報の見せ方という点で参考になるフリーペーパーがいっぱいです。

さいきんこの手の本って増えてきたな、と思うんですが、
この本の偉いところはその価格。2000円くらいです。
気軽に買える値段で充実した情報量ってすばらしいですよね。
別に回し者じゃないですが。

さて、講座は小金井発のメディアをつくることを目標にしている訳ですが、
視覚的に伝わりやすいメディアを通して、充実した芸術文化や小金井情報、発信していけるといいですね。

開講まであと少し。
とても楽しみになってきました!(AT)

フリーペーパーコレクションフリーペーパーコレクション
(2007/07)
不明

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『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』

例えば先週職場や学校で誰かに怒られちゃったとか、気がつけば小金井公園の緑が滴るほどきれいだったとか、そんな事を誰かに伝えたいと思った時、それをゆっくりと聴いてくれる人が、私にはどれだけいるでしょうか?

物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』は臨床社会学の研究者である著者ですが、本書は専門的な本ではなく、人は語って生きていくということが、豊富な事例を交えてやさしく書かれています

「人が、最もその人らしい部分を語ろうとする時、それは自分が生まれてから今までどのように生きてきたのかという「自己物語」の形式を取らざるを得なくなる。自分は今まで、何に苦しみ、何に歓んできたのか。何に傷つき、何に感動してきたのか。誰と出会い、誰と別れてきたのか。何を手に入れ、何を失ってきたのか。そうした自分にとってのかけがいのない経験を綴ったひとつの物語、それこそが、他ならぬ私らしさを構成するもっとも重要な要素となるはずである。」と言う著者は、ケアには従来の技術と精神という二項対立ではなく、「関係」が重要であると考えています。そしてあらゆる「関係」は「言葉」によって作られ、「語り」によって維持されているから、「言葉」や「語り」、そしてそれを織りなす「物語」に注目することで、新しい「関係」が見えてくると説くのです。

一人暮らしのお年寄りや、話を聞いてもらえない子どもたち。いや大人だって慌しい日々に忙殺されて、親しい相手にじっくりと話を聴いてもらえないことが、どんなに多いことでしょうか。人は語らなくては生きていけないことを思い出させてくれる、大切な一冊です。

残念ながら小金井の図書館には無いようですが、良かったら読んでみてください。(IS)

物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)
(2002/06)
野口 裕二

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