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梅棹忠夫『情報の文明学』

今、小林多喜二『蟹工船』が売れています。

最近、こういう言葉をよく目にします。新聞記事になったり、「話題の本」として平積みにされていたり、ポップがついていたり。『蟹工船』の初出は1929年。80年後のリバイバルです。(その辺の経緯はウィキペディアを)。古典はいつ読んでも新しい、と言いますが、このような本には、どの時代の読者の読み方も受け入れる懐の深さのようなものがあるからかもしれません。

情報の文明学

そういう意味では(古典と言うには早いかもしれませんが)梅棹忠夫『情報の文明学』も現在の社会を見通す新鮮な視点を与えてくれる本です。本書は1988年に中央公論社から刊行されましたが、梅棹が20年以上にわたって書いてきた文章が収録されおり、冒頭の「放送人の誕生と成長」は1961年が初出。『情報の文明学』がテレビ業界人=放送人から始まるのは、情報=インターネットになりつつある現在の視点からは、面白いところではないでしょうか。

まったく、放送というのはけったいな仕事である。民放はやはり商売にはちがいないが、いったいなにをつくって、なにを売っているのか。電波をつくって、電波を売っているのであろうが、番組といい、電波といっても、これはまったくふつうの意味でものではない。それは売買の対象は、まったく新型の「なにものか」である、22頁

テレビ放送開始は1953年。1961年ではまだまだ「新型」の産業で「けったいな仕事」。いっぽう、工業製品のような「ふつうの意味でもの」を扱う社会から、そういう視点から見れば「奇怪なる擬似商品」ともいえる情報を扱う社会へ、実感を伴うかたちで進行していった時期だったといえるかもしれません。本書では、そのような社会の変化を、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代といった文明史的に位置づけていきます。

またきっかけは放送ですが、情報を「人間と人間のあいだで伝達されるいっさいの記号の系列」と捉える梅棹の論には、宗教から、スポーツ、映画や芝居…人間のさまざまな(ほとんどの?)活動が視野に入ってきます。

このような文明史的に捉える視点の大きさと、具体的に論じる情報産業の定義の幅の広さ。時代を隔てた現在の読者にとっても、実感をもって、多様な読み方ができる本書の懐の広さのゆえんではないでしょうか。

梅棹は本書中で「情報の時代」から一歩進め、以下のように語っています。

情報に関するガイダンスが情報的世界における、ひとつのジャンルを形成しつつある。情報氾濫の時代になれば、なるほど情報の情報が要求されるのである…(中略)…世はまさに、情報の情報の時代である、267‐268頁。

梅棹が「情報の情報の時代」を指摘してから20年が経ちました。テレビだけでなくインターネットも普及しつつあり、情報の氾濫が加速化しているようにも思えます。そんな中でリアルトーキョーのような「情報の情報」サイトもできてきています。立ち上げの動機をリアルトーキョーでは以下のように説明しています。

映画、演劇、ダンス、コンサート、パーティ、展覧会、レクチャー……。東京のような大都市では、毎日数え切れないほどのカルチャーイベントが開催されています。その中から、本当に観に行くに値するものを見つけ出すのは至難の業。「情報過多」と言われて久しいメディア状況が、それに輪をかけているようにも感じられます。

ところが、実際に新聞や雑誌やテレビをチェックしてみると、流れている情報はどこも似たり寄ったり。意外とバリエーションが少ないことがわかります。限りある誌面や放送時間で大多数に受けそうなものを選んでゆくと、自ずと同じようなセレクションになってしまうのでしょう。これにチケットサービスがからむと、ビジネスに直接結びつかないものはどんどん淘汰されるばかりです。

「それってリアルじゃないじゃん」というところから、REALTOKYOはスタートしました。大作映画や大物ミュージシャンのライブもいいけど、単館上映の映画やカルトな小劇場、新人のライブや若手アーティストのグループ展にも行ってみたい。そんな「マス対コア」の揺らぎの中にこそ、リアルなトーキョーがあるんじゃないのか。そういう街に私たちは住んでるんじゃないか、とREALTOKYOは思うのです。
REAL TOKYO| RTって何だ?から抜粋l


梅棹は情報の氾濫の中で「情報の情報」の必要性を指摘しました。現在。情報の氾濫はより大きくなっている中で、本来それへの対処としてあるはずの「情報の情報」の限界をも、リアルトーキョーの動機は示しており(同じようなセレクション、コアの淘汰)、そのゆえ、情報のリアルさを取り戻すというリアルトーキョーの活動は梅棹のいう「情報の情報」のひとつの実践として意義をもっているように思えます。

古典の新しさは、時代を超えて共振するものを与えてくれることと同時に、時代の違いを知ることから、現在を考える視点をも与えてくれます。本書を通じて、今を考えて見るのもいいのではないでしょうか。(SR)

情報の文明学 (中公文庫)情報の文明学 (中公文庫)
(1999/04)
梅棹 忠夫

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